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プーマの歴史 [スニーカー ブランド]

プーマは世界で最初にファッションブランドとコラボし、アスリートの足元を支える技術力と芸術性の高いスニーカーブランドです。

特にサッカーでは定番中の定番ブランドで、サッカー用品のトップブランドとして君臨しています。

また、モータースポーツでも多くのF1やMotoGPなどのドライバーがプーマのレーシング用スニカーを使っています。

そんなプーマですが、「アディダスの歴史」でも書きましたがアドルフ・ダスラーとルドルフ・ダスラー兄弟の兄弟げんかが原因で、弟はアディダスと兄はRUDA(プーマ)に分裂してしまいます。

その後も熾烈な競争を繰り広げたそうです。

プーマはペレと契約を結び、ワールドカップの決勝戦の開始直前に、ペレが靴紐を結び直す場面をテレビで放送し何百万人もの観衆がプーマのスニーカーを目にしたすうです。

モータースポーツやファッションブランドとのコラボなど、他のスニーカーブランドとは一線を画すスニーカーブランドです。


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アディダスの歴史 [スニーカー ブランド]

アディダスは1920年にドイツのニュルンベルクで、アドルフ・ダスラーとルドルフ・ダスラー兄弟が「ダスラー兄弟商会」として設立したのが始まりだそうです。

それぞれのスポーツにあった専用のスニーカーが必要と考えてスニーカーを作り、多くのアスリートがいろいろな大会で好成績をあげ、世界的なブランドになったそうです。

しかし、職人気質で無口な弟アドルフと、営業販売担当の兄ルドルフと間で意見が合わず1948年に分裂してしまったそうです。

分裂後は、弟アドルフは自分の愛称の「アディ」と名字のダスラーから「ダス」を取ってアディダス(adidas)というスニーカーブランドをスタートさせ、兄ルドルフはルドルフの「ru」と名字の「da」からRUDAというブランドをスタートさせたそうです。

その翌年にRUDAをプーマ(Puma)に社名変更したそうです。

アディダスとプーマは兄弟げんかが原因でできたブレンドだったんですね。

ダスラー兄弟の争いは二人が亡くなっても、息子のアーミン(プーマ)とホルスト(アディダス)に引き継がれたそうでが、オニツカタイガー(現アシックス)の創業者の鬼塚喜八郎さんの仲裁で和解したそうです。


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スニーカー ブランド [スニーカー ブランド]

ナイキは世界中で大人気のスニーカーブランドですが、1964年にブルーリボンスポーツ社として設立され、当初は日本のオニツカタイガー(現在のアシックス)のスニーカーの輸入販売と開発をしていたそうです。

1970年頃にオニツカタイガーの業績が悪化し始め、1971年に取引を停止し自社ブランドをスタートさせたそうです。

ナイキの由来は、社員のジェフ・ジョンソンが夢で見たギリシャ神話の勝利の女神「ニーケ(nike)」からきているそうです。

ナイキブランド初のスニーカーは、1972年に誕生したコルテッツで、現在もナイキを代表する人気のスニーカーです。



ナイキブランド初のスニーカー コルテッツ


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